2013年9月6日金曜日

原稿用紙の起源を探る -2.素朴な疑問-

前回、原稿用紙の疑問に対してしっかりとした答えを持たないと申し上げました。

では現段階での「原稿用紙についての素朴な疑問」には何があるでしょう。
パッと頭に浮かんだものをいくつか書き出してみました。

1.原稿用紙が使われるようになったのはいつ頃からか。
2.何のために原稿用紙を使うようになったのか。
3.罫線の刷り色には何か意味があるのか。
4.様々な字詰めが存在するのはどういう理由か。
5.原稿用紙はやはりルビ有りが基本なのか。
6.昔の紙の大きさは基本的に美濃判を元にしているのか。
7.左右を分ける柱が真ん中に存在する理由は何か。
 またこの形が基本と考えられるか。
8.余白が広く取られている理由は何か。

頭を捻ればまだ思いつきそうですが、とりあえずこんなところです。

せっかく疑問を挙げましたので、正否はともかく、現時点での私の予想する答えを書いてみたいと思います。

1.原稿用紙が使われるようになったのはいつ頃からか。

数十年前に満寿屋で作っていた
和紙の原稿用紙

現存する最古の原稿用紙は、藤原貞幹(読み:ふじわらさだもと、また藤 貞幹:とうていかん、とも)のものと聞いています。 まだ目にしたことはないのですが、1797年発刊の「好古日録(読み:こうこにちろく)」の草稿が残されているそうです。 また頼山陽(読み:らいさんよう)が「日本外史」執筆のために専用の原稿用紙を作られたそうですが、こちらの方が少し後のことと思われます。

これらから、恐らく1700年代最後には使い始められていたと考えられるでしょう。 上に挙げた2点とも漢文体で書かれています。

2.何のために原稿用紙を使うようになったのか。

現在の意味での原稿用紙は、最終的に印刷するための原稿を書く用紙です。 恐らく、当初の目的も同様であったと思いますが、書いたものをそのまま綴じて冊子にするということもあったのではないかと考えています。(ただ、それでは升目に字を埋めるということ自体にあまり意味が無くなってしまいますね) 現段階では私の想像に過ぎません。

3.罫線の刷り色には何か意味があるのか。

満寿屋の特徴でもある障子マスで
何パターンか作っていました

これについては、よく分かりません。
頼山陽の日本外史の原稿用紙は、朱色(茶色とも)の罫線とのことですが、古い原稿用紙で紺の罫線のものも見た記憶があります。 原稿用紙よりもかなり前から使われていた罫紙(縦の罫のみの用紙)からの流れも見ていく必要があると思います。

4.様々な字詰めが存在するのはどういう理由か。

400字詰めと200字詰め
(下は折り目がついていますが、
大きな1枚の原稿用紙です)

これこそ、これから大いに探っていくべき内容でしょう。
藤原貞幹は400字とのことですが、頼山陽は440字ですし、内田魯庵が190字を使っていたと聞いたこともあります。

出版社が作家に原稿料を払う際、字詰めというのは大変重要な要素です。 使う人の好みの問題もあるでしょうが、いろいろとエピソードがありそうなテーマですね。

5.原稿用紙はやはりルビ有りが基本なのか。

満寿屋のルビ有り原稿用紙
No.113

いろいろと調べていくうちに、原稿用紙に最初に書かれたのは漢文体だったと考えるのが自然だと思うようになりました。 日本特有のかな文字は、繋げて縦書きすること(いわゆる草書体)が主流だったため、マス目で区切られていると書きづらく、ずっと罫紙が用いられてきたようです。

漢文体であれば返り点等の訓点を書き入れることがあります。 ルビはその専用スペースとして設けられたそうなのです。

このようなことから、原稿用紙の最初の形はルビ有りであったと考えられるのではないでしょうか。これも裏付けとなりそうなものを、今後探していきたいと思います。

6.昔の紙の大きさは基本的に美濃判を元にしているのか。

現在書類のサイズはA4判を始めとするA判が基本になっています。 しかし以前はB判が主流でした。そしてさらにその前は美濃判(B4判よりも一回り大きなサイズ)が使われていました。 この辺りは紙の歴史の範疇となりますが、原稿用紙についても美濃判を基本としていたと考えられます。

ではなぜ美濃判が良かったのでしょう。 この答えにもいくつかの説が考えられると思います。

キーワードとなりそうなものは、
「この時代の手書きと言えば毛筆」
「印刷技術は版木を用いた手刷りが主流」
の2点でしょうか。 道具と大きさ、これには最適な組合わせがあるように思います。

7.左右を分ける柱が真ん中に存在する理由は何か。またこの形が基本と考えられるか。

No.37の魚尾

和綴じという綴じ方で冊子にすることは、現在も行われています。 2つ折りにした紙を綴じる製本方法です。 この綴じ方の場合、真ん中の部分がちょうど手前に来て見えるので、ここに作品名や著者名を書くことがあります。

ただこういった使い方は、原稿用紙をそのまま綴じて冊子にする場合は有効ですが、最終的に印刷するための原稿と考えるとあまり必要ないもののようにも考えられます。(綴じて原稿を管理するためという考え方もあるかも知れませんが)
やはり原稿用紙が生まれた当時の使い方や、それ以前の用紙(例えば罫紙)からの流れというものも背景として考慮する必要がありそうです。

余談ですが、現在の原稿用紙にもこの真ん中の柱の部分に三角形を並べたような特徴的なマークが記されているタイプがあります。 このマークは古くから用いられているもので、その形が魚の尾に似ていることから「魚尾(読み:ぎょび)」と呼ばれています。 紙の中心を示すためのもので、これを目安にするとちょうど紙を半分に折ることが出来ます。

8.余白が広く取られている理由は何か。

上部に、書き込みをするための
余白が広く取られる

原稿用紙が生まれるよりも前から、特に研究書の類いには余白に書き込みをするという文化があったそうです。 原稿用紙も印刷物という形になる前の段階で、様々な修正や加筆があるというのは自然なことでしょう。 作家さんの中には、出来るだけ余白を広く取った原稿用紙を作りたいと希望される方もいらっしゃいます。


頭に浮かんだ疑問に対する、現時点での答えはこのようなものです。(答えになっていないものもいくつかありますが。。) これがそのまま正解と言えるものもあるかも知れませんし、違った事実が存在するものもあるかも知れません。 今後調べていく中で、検証していきたいと思います。

次回は「原稿用紙の起源」という言われ方もしている版木について、取材をして来ましたのでご紹介したいと考えています。

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