2012年12月7日金曜日

作家と満寿屋 -丹羽文雄さん編-

満寿屋の原稿用紙作りは、作家の丹羽文雄(読み:にわふみお)先生のご依頼から始まりました。文壇に多くのお仲間やお弟子さんを持つ丹羽先生によって、満寿屋の名は作家さん達に広まっていったのです。まさに、丹羽先生のおかげで今日の満寿屋があると言っても過言ではありません。

満寿屋の原稿用紙の生みの親であり、私の祖母である川口ヒロは女学生の頃、小説家に憧れる文学少女でした。ある時、自分の書いた作品を若き日の丹羽先生にお見せしたところ、「君の家は紙屋だろ。文学はいいから原稿用紙を作ってくれよ。」と言われたそうです。その言葉にショックはあったでしょうが、何とか丹羽先生のお役に立ちたいと、懸命に原稿用紙作りに取り組んだと聞いています。

昭和35年NETテレビ出演の模様
一番左が丹羽先生
一番右が川口ヒロ

それ以降、丹羽先生には長きに渡り原稿用紙をご愛用頂きました。No.33のモデルに「丹羽文雄」とお名入したものをずっとお使いでした。

丹羽先生ご愛用の原稿用紙

現在も原稿用紙にお付けしているしおりの、「満寿屋の原稿用紙」の文字は丹羽先生に書いて頂いたものです。味わいのある、そして満寿屋の原稿用紙のイメージにピッタリの文字だと思います。

丹羽先生直筆の
「満寿屋の原稿用紙」

余談ですが、丹羽先生はゴルフの腕前もかなりのものでした。
51歳からゴルフを始めてシングルプレーヤーにまでなられたそうで、文壇のお仲間達と楽しまれた会は「丹羽学校」と名付けられました。私の祖父・川口正二(先代の社長)もゴルフが好きだったためお仲間に入れて頂き、毎回参加出来るのを楽しみにしていたようです。

丹羽学校閉校式(1995年)
前列右から二人目が丹羽先生
同じく一番左が川口正二

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