満寿屋の原稿用紙の生みの親であり、私の祖母である川口ヒロは女学生の頃、小説家に憧れる文学少女でした。ある時、自分の書いた作品を若き日の丹羽先生にお見せしたところ、「君の家は紙屋だろ。文学はいいから原稿用紙を作ってくれよ。」と言われたそうです。その言葉にショックはあったでしょうが、何とか丹羽先生のお役に立ちたいと、懸命に原稿用紙作りに取り組んだと聞いています。
昭和35年NETテレビ出演の模様 一番左が丹羽先生 一番右が川口ヒロ |
それ以降、丹羽先生には長きに渡り原稿用紙をご愛用頂きました。No.33のモデルに「丹羽文雄」とお名入したものをずっとお使いでした。
丹羽先生ご愛用の原稿用紙 |
現在も原稿用紙にお付けしているしおりの、「満寿屋の原稿用紙」の文字は丹羽先生に書いて頂いたものです。味わいのある、そして満寿屋の原稿用紙のイメージにピッタリの文字だと思います。
丹羽先生直筆の 「満寿屋の原稿用紙」 |
余談ですが、丹羽先生はゴルフの腕前もかなりのものでした。
51歳からゴルフを始めてシングルプレーヤーにまでなられたそうで、文壇のお仲間達と楽しまれた会は「丹羽学校」と名付けられました。私の祖父・川口正二(先代の社長)もゴルフが好きだったためお仲間に入れて頂き、毎回参加出来るのを楽しみにしていたようです。
丹羽学校閉校式(1995年) 前列右から二人目が丹羽先生 同じく一番左が川口正二 |
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