2013年10月31日木曜日

原稿用紙の起源を探る -3.塙保己一の版木-

 原稿用紙と言えば400字詰めというのが標準的な認識となっています。
「原稿用紙」と「400字詰め」はセットとして捉えられており、「原稿用紙の起源」は「400字詰めの起源」と当然イコールであると考えられがちです。

 ですが、私はこの両者はイコールではないのではないかと考えています。 別々に起源があり、どこかで結びついたと思っているのです。 そのような理由から、私は出来るだけこの2つを別の視点で捉え検証を進めていきたいと思っています。

登録有形文化財の温故学会会館

 今回は一般に「原稿用紙の起源」ともされている、塙保己一(読み:はなわ ほきいち)の版木を取材させて頂きました。(先ほどの私の考え方からすると、これは「400字詰めの起源」の方であると思うのですが。。) 取材に伺ったのは渋谷区東の温故学会で、第4代理事長の齊藤幸一さんにもいろいろなお話を伺うことが出来ました。

塙保己一の銅像

 塙保己一は教科書にも出てくる方ですので、ご存知の方も多いと思います。
江戸時代の国学者で、5歳のときに病気にかかり7歳で失明したにも関わらず、苦難を乗り越え、全666冊にも及ぶ『群書類従(読み:ぐんしょるいじゅう)』を編纂・刊行されました。

『群書類従』の和本

『群書類従』とは、日本の古代・中世・近世の貴重な歴史書・文学書といった古典籍が散逸、焼失してしまったことを憂い、これらを集書刊行して世に広めようと塙保己一が企画しまとめた大叢書です。 完成(1819年)までに40年もの歳月を費やす、まさに大事業でした。(詳しくは温故学会のHPに記されています)

 さてこの『群書類従』ですが、どのような印刷方法で刷られたのでしょうか。
現在の主流はオフセット印刷(他にもいろいろとありますが)で、印刷機に紙をセットすればあっという間に大量の印刷が出来ます。 しかし、江戸時代には当然そのような優れた印刷機はありませんでした。 木に文字を彫り、墨を付け、紙を押し当てるという、いわゆる手刷りで一枚一枚印刷していったのです。

『群書類従』の版木

 印刷することも大変な作業ですが、それ以上に版を彫るということが大変なことでした。
塙保己一は目が見えないため、口でしゃべったことを他の人が紙に書き、それを裏返して木の板の上に乗せ、文字の部分を残すように職人が彫っていきます。
その数なんと17,224枚。(表・裏両面彫りのため約34,000ページ分。1枚の大きさは、横 470 × 縦 230 × 高 15mm、重さ 1.5kg)
硬く丈夫でありながら加工のしやすい山桜の木が版木として用いられました。

一文字一文字しっかりと彫られている

 現在も1枚も欠けることなく温故学会に保管され、国の重要文化財にも指定されています。
実はこの『群書類従』の版木の文字数が、縦20文字、横10行が2段で400字に統一してあるのです。(一部そうでないものもあります)

 温故学会では今でもこの版木を使って印刷をし、製本して納めるという注文を承っています。 200年近く前に作られた版木が現在も現役で、しかもまだきれいに印刷出来るということに驚きました。

版木から和紙に印刷された1枚

 齊藤理事長のご厚意で、印刷したものを1枚分けて頂きましたのでその写真をアップ致します。 罫線はありませんが、20字 × 20行の形でとてもきれいに文字が並んでいますね。

 この『群書類従』の400字詰めの版木が、現在の原稿用紙の様式の元となっているということが、熊田淳美氏の「三大編纂物 群書類従・古事類苑・国書総目録の出版文化史」(勉誠出版)の中に記されているという情報がありました。 私も早速この本を読んでみたのですが、その内容の記述部分を見つけることが出来ませんでした。恐らく私の読み落としでしょう。 これについては、また機会を作って注意深く読み直してみたいと思います。

温故学会内に保管される『群書類従』の版木

『群書類従』は後世に多大な影響を与える叢書であったことから、この版木が「400字詰めの起源」になったと考えるのは妥当と言えるかも知れません。(これよりも前の時代で、京都・萬福寺の禅僧、鉄眼による版木も400字であり、元はこちらともされています。鉄眼についてはまだ取材出来ていないため、いずれまた詳しく触れたいと考えています)

 ここで、最初に申し上げた「400字詰めの起源」と「原稿用紙の起源」についてです。
『群書類従』や鉄眼の版木は文字を先に彫って印刷するものであるのに対し、原稿用紙は罫線のみを印刷した紙に後から文字を書き入れるものです。そのようなことから、同じ400字であっても用途が違うものには別の起源があると考えるのが自然ではないか、というのが私の考え方です。

版面が擦れないよう、1枚ずつ
端喰(読み:はしばみ)が嵌められている

 先ほどご紹介した版木で印刷された紙の画像の通り、『群書類従』の版木には罫線がありません。原稿用紙の最大の特徴と言っても過言ではない罫線、そして升目が存在しないということも「起源が別にあるのでは?」と考えさせる理由の一つです。

 歴史の古い版木の文字数が先に400字に定着し、後から生まれた原稿用紙がその流れを汲んだとも考えられます。ただもしそうであれば、その根拠を探したいと感じました。

 温故学会の齊藤理事長とお話する中で、塙保己一が採用した400字という文字数についていろいろと考えを巡らせてみました。

以前「温故堂書室用」として使われていた
440字詰め原稿用紙
版木による手刷りと見られ、記述には
明治36年とある

 なぜ500字等もっとキリの良い数ではないのか。
まず先ほども少し触れた鉄眼の存在が考えられます。黄檗版鉄眼一切経(読み:おうばくばんてつげんいっさいきょう)の版木は1681年に完成しています。当時すでに有名であったはずなので、当然保己一は知っていたと思われます。鉄眼の版木が400字詰めを採用していたため、その形式を取り入れたということは十分考えられるのです。(ただし、それを示す記録は残っていません)

『群書類従』には草書で彫られた部分もある

 もう一点。版木は彫り師が何の見当もなく字を彫っていくのではなく、字の書かれた紙を木に当て目安にしながら彫っていきます。当然元となる紙には筆で書くので、紙の大きさ、余白、字の大きさの点から400字が妥当という考え方も出来ます。筆で小さな文字を書くことは大変ですし、それ以上にその小さな文字を彫ることは難しく時間がかかってしまうでしょう。

 更に、美濃判の紙で天・左右にスペースを取った状態で、ある程度読みやすい大きさの文字数というと400字程度ではないかという考え方もあります。
当時は蝋燭も貴重品であったため、魚の脂等粗悪な燃料で灯りをつけていることが多く、とても暗かったそうです。夜書物を読む場合、特に目の悪いお年寄りにはこれ以上小さい文字は読みづらいと考えられます。
かと言ってこれ以上字を大きくすると1枚当たりの文字数が少なくなり、版木がその分多くなってしまいます。ちょうど良い文字数が400字であったのではないでしょうか。


 こういったいろいろな点から、そして黄檗版鉄眼一切経や『群書類従』が後世に与えた影響から見ても、400字詰めが定着するきっかけとなったのが鉄眼や塙保己一の版木であると言えるかも知れません。

 ただ400字詰めとなった経緯については、別の見方をされている方もおり、引き続き調べていきたいと考えております。

 今回は400字詰めという文字数から「原稿用紙の起源」の考察にまではつなげることが出来ませんでしたが、鉄眼の版木も含め今後また折りを見て探っていきたいと思います。長文最後までお読み頂きありがとうございました。

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2013年9月6日金曜日

原稿用紙の起源を探る -2.素朴な疑問-

前回、原稿用紙の疑問に対してしっかりとした答えを持たないと申し上げました。

では現段階での「原稿用紙についての素朴な疑問」には何があるでしょう。
パッと頭に浮かんだものをいくつか書き出してみました。

1.原稿用紙が使われるようになったのはいつ頃からか。
2.何のために原稿用紙を使うようになったのか。
3.罫線の刷り色には何か意味があるのか。
4.様々な字詰めが存在するのはどういう理由か。
5.原稿用紙はやはりルビ有りが基本なのか。
6.昔の紙の大きさは基本的に美濃判を元にしているのか。
7.左右を分ける柱が真ん中に存在する理由は何か。
 またこの形が基本と考えられるか。
8.余白が広く取られている理由は何か。

頭を捻ればまだ思いつきそうですが、とりあえずこんなところです。

せっかく疑問を挙げましたので、正否はともかく、現時点での私の予想する答えを書いてみたいと思います。

1.原稿用紙が使われるようになったのはいつ頃からか。

数十年前に満寿屋で作っていた
和紙の原稿用紙

現存する最古の原稿用紙は、藤原貞幹(読み:ふじわらさだもと、また藤 貞幹:とうていかん、とも)のものと聞いています。 まだ目にしたことはないのですが、1797年発刊の「好古日録(読み:こうこにちろく)」の草稿が残されているそうです。 また頼山陽(読み:らいさんよう)が「日本外史」執筆のために専用の原稿用紙を作られたそうですが、こちらの方が少し後のことと思われます。

これらから、恐らく1700年代最後には使い始められていたと考えられるでしょう。 上に挙げた2点とも漢文体で書かれています。

2.何のために原稿用紙を使うようになったのか。

現在の意味での原稿用紙は、最終的に印刷するための原稿を書く用紙です。 恐らく、当初の目的も同様であったと思いますが、書いたものをそのまま綴じて冊子にするということもあったのではないかと考えています。(ただ、それでは升目に字を埋めるということ自体にあまり意味が無くなってしまいますね) 現段階では私の想像に過ぎません。

3.罫線の刷り色には何か意味があるのか。

満寿屋の特徴でもある障子マスで
何パターンか作っていました

これについては、よく分かりません。
頼山陽の日本外史の原稿用紙は、朱色(茶色とも)の罫線とのことですが、古い原稿用紙で紺の罫線のものも見た記憶があります。 原稿用紙よりもかなり前から使われていた罫紙(縦の罫のみの用紙)からの流れも見ていく必要があると思います。

4.様々な字詰めが存在するのはどういう理由か。

400字詰めと200字詰め
(下は折り目がついていますが、
大きな1枚の原稿用紙です)

これこそ、これから大いに探っていくべき内容でしょう。
藤原貞幹は400字とのことですが、頼山陽は440字ですし、内田魯庵が190字を使っていたと聞いたこともあります。

出版社が作家に原稿料を払う際、字詰めというのは大変重要な要素です。 使う人の好みの問題もあるでしょうが、いろいろとエピソードがありそうなテーマですね。

5.原稿用紙はやはりルビ有りが基本なのか。

満寿屋のルビ有り原稿用紙
No.113

いろいろと調べていくうちに、原稿用紙に最初に書かれたのは漢文体だったと考えるのが自然だと思うようになりました。 日本特有のかな文字は、繋げて縦書きすること(いわゆる草書体)が主流だったため、マス目で区切られていると書きづらく、ずっと罫紙が用いられてきたようです。

漢文体であれば返り点等の訓点を書き入れることがあります。 ルビはその専用スペースとして設けられたそうなのです。

このようなことから、原稿用紙の最初の形はルビ有りであったと考えられるのではないでしょうか。これも裏付けとなりそうなものを、今後探していきたいと思います。

6.昔の紙の大きさは基本的に美濃判を元にしているのか。

現在書類のサイズはA4判を始めとするA判が基本になっています。 しかし以前はB判が主流でした。そしてさらにその前は美濃判(B4判よりも一回り大きなサイズ)が使われていました。 この辺りは紙の歴史の範疇となりますが、原稿用紙についても美濃判を基本としていたと考えられます。

ではなぜ美濃判が良かったのでしょう。 この答えにもいくつかの説が考えられると思います。

キーワードとなりそうなものは、
「この時代の手書きと言えば毛筆」
「印刷技術は版木を用いた手刷りが主流」
の2点でしょうか。 道具と大きさ、これには最適な組合わせがあるように思います。

7.左右を分ける柱が真ん中に存在する理由は何か。またこの形が基本と考えられるか。

No.37の魚尾

和綴じという綴じ方で冊子にすることは、現在も行われています。 2つ折りにした紙を綴じる製本方法です。 この綴じ方の場合、真ん中の部分がちょうど手前に来て見えるので、ここに作品名や著者名を書くことがあります。

ただこういった使い方は、原稿用紙をそのまま綴じて冊子にする場合は有効ですが、最終的に印刷するための原稿と考えるとあまり必要ないもののようにも考えられます。(綴じて原稿を管理するためという考え方もあるかも知れませんが)
やはり原稿用紙が生まれた当時の使い方や、それ以前の用紙(例えば罫紙)からの流れというものも背景として考慮する必要がありそうです。

余談ですが、現在の原稿用紙にもこの真ん中の柱の部分に三角形を並べたような特徴的なマークが記されているタイプがあります。 このマークは古くから用いられているもので、その形が魚の尾に似ていることから「魚尾(読み:ぎょび)」と呼ばれています。 紙の中心を示すためのもので、これを目安にするとちょうど紙を半分に折ることが出来ます。

8.余白が広く取られている理由は何か。

上部に、書き込みをするための
余白が広く取られる

原稿用紙が生まれるよりも前から、特に研究書の類いには余白に書き込みをするという文化があったそうです。 原稿用紙も印刷物という形になる前の段階で、様々な修正や加筆があるというのは自然なことでしょう。 作家さんの中には、出来るだけ余白を広く取った原稿用紙を作りたいと希望される方もいらっしゃいます。


頭に浮かんだ疑問に対する、現時点での答えはこのようなものです。(答えになっていないものもいくつかありますが。。) これがそのまま正解と言えるものもあるかも知れませんし、違った事実が存在するものもあるかも知れません。 今後調べていく中で、検証していきたいと思います。

次回は「原稿用紙の起源」という言われ方もしている版木について、取材をして来ましたのでご紹介したいと考えています。

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2013年8月26日月曜日

原稿用紙の起源を探る -1.はじめに-

正確な記録が残っていないためはっきりとは分かりませんが、満寿屋が原稿用紙作りを始めたのは恐らく昭和14年頃と思います。 過去の雑誌や新聞に取り上げて頂いた記事から推測すると、その頃と考えるのが妥当なためです。

ということは、原稿用紙の製造・販売をして70年以上となる訳ですが、お恥ずかしいことに「原稿用紙」自体については、それ程詳しい知識があるとは言えませんでした。

作家さんを始め、お客様のお好みに合った原稿用紙を作ることは出来ますが、基本的にはご依頼にお応えすべく懸命に取り組んできたまでのこと。

原稿用紙の起源や変遷、文字数や形状についての謎等、ごく当たり前に湧く疑問に対して、しっかりとした答えを持たないことに今更ながら気付いた次第です。

以前から原稿用紙屋としてこれではいけないと、ある種の使命を感じ、時間を作って順を追いながら調べていこうと考えておりました。


ところが先日、あるラジオ番組の取材をきっかけに、すぐにでも調べなければならなくなったのです。

その内容は「原稿用紙が400字詰めなのはなぜですか?」という質問でした。

これにはいろいろな説や考え方があり、一言で「答え」として言い切ることは出来ません。
そのため、この取材をきっかけに私自身本腰を入れて原稿用紙の起源の探求(と言うほど大袈裟なものではありませんが、、)を始めようと決意を致しました。 上の質問の答えに関連する内容等も含め、今後このブログでも少しずつご紹介していこうと考えております。


今回は「原稿用紙の起源の探求」の宣言にとどめ、今後原稿用紙の原点を探るところから始めていきたいと思います。 先ほども書きましたが、いろいろな説や考え方があると考えられますので、決定的な起源が分からないということもあり得るでしょう。 ただ、だからと言って私個人の想像ばかりの話に終始しないよう、出来るだけ取材等裏付けを取りながら進めていく予定です。
ご興味がある方のご参考になれば幸いです。

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2013年7月11日木曜日

作家と満寿屋 -徳岡孝夫さん編-

自社の歴史や沿革について、恥ずかしながら弊社には詳細な記録があまり残っておりません。原稿用紙作りを始めた私の祖母・川口ヒロも2008年に他界しており、昔のことを聞くことも叶いません。

ただ幸いなことに、祖母はいろいろなメディアの方から取材をして頂いておったため、当時の新聞や雑誌からある程度のことを読み解くことが出来ました。そういった貴重な資料を元に、作家さんと満寿屋のエピソード等を何回かに分けて少しご紹介してみたいと思います。

「新潮45+」1982年10月号

1982年創刊の「新潮45+」(新潮社)。
その1982年10月号に徳岡孝夫さんの書かれた記事が掲載されています。この当時は毎日新聞編集委員でいらっしゃいました。

現在も「新潮45」等に記事を書かれている徳岡さん。
手前どもは大変親しくお付き合いさせて頂いてきました。

7ページに渡る徳岡孝夫さんの記事

この「新潮45+」の記事の中では紙の歴史に始まり、作家さんにとっての原稿用紙、作家さんと満寿屋のエピソード、そしてご自分にとっての満寿屋(特に川口ヒロ)という内容を7ページに渡って書いて下さいました。

祖母は「昔は作家さんのお宅まで、リアカーに原稿用紙を乗せてお届けに行ったりしたもんだよ。」とよく申しておりましたが、この記事で徳岡さんも、

“東京サミットのとき、再び原稿用紙が切れた。電話すると、ヒロさんは「お届けします」と二つ返事で、まもなく毎日新聞の受付に現われた。皇居周辺は厳重な交通規制だったから、地下鉄で来たという。私は恐縮し、感激した。”

と書かれています。

ご著書と、ご愛用の満寿屋No.105

祖母には「物書きの原稿用紙を切らせては大変」という思いがあったのでしょう。祖母の気遣いと原稿用紙への情熱に触れた気がしました。

また1998年夏の隅田川花火大会の日にこちらへお招きし、一緒に花火を楽しんだこともございます。祖母にとっても大変良い思い出になりました。

徳岡さんより頂いたお手紙

今年もまた花火の季節。
徳岡様、いつまでもお元気で、これからのご活躍をお祈りしております。

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2013年6月27日木曜日

作家と満寿屋 -佐野洋さん編-

「華麗なる醜聞」で第18回日本推理作家協会賞を受賞。
1997年に日本ミステリー文学大賞受賞。
2009年菊池寛賞受賞。
日本推理作家協会理事長も務められ、推理小説の第一人者であった佐野洋(読み:さのよう)先生が2013年4月27日に亡くなられました。84歳でした。

長年、佐野様専用版のB5判200字詰め原稿用紙(満寿屋の原稿用紙No.101よりも少しマスを大きくしたもの)をお使いでした。

満寿屋ロゴも既製品とは違うものを使用

とても穏やかなお人柄であったそうで、満寿屋の先代社長夫妻(川口正二・ヒロ)が浅草のレストラン(ロシア料理店 ボナ・フェスタ)にお招きし、一緒に楽しくお食事させて頂いたこともございました。

丹羽文雄先生のゴルフの会、丹羽学校のメンバーでもあり、先代社長はとても良くして頂いたと聞いております。

推理日記 FINAL

昨日(2013年6月26日)東京會舘に於いて、伊集院静さん、五木寛之さん、三好徹さんらが発起人となりお別れの会が開かれ、手前どもの社長夫妻も出席させて頂きました。
生前のお付き合いに深く感謝を致し、謹んで哀悼の意を表します。

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2013年4月9日火曜日

万年筆・インク・紙

万年筆での筆記を想定して開発した、満寿屋のクリーム紙。
「書く」スペシャリストである作家さんに気持ち良く書いて頂くために、
「書かれる」ことを前提に生まれたのがこの紙です。
インクが滲みにくく、裏抜けしにくく、滑らかな書き心地が得られる。
そんな特徴を持っています。


しかし、「手書き」ということを考えたとき、これらの特徴はこの紙だけで完結するものではなく、関連する他の要素も大いに関わってくることに気が付きます。
筆記具、インク、紙は、手書きをする上で切っても切れないものだからです。


ペンが手に馴染むか、
自分の好みの太さの字幅は何か、
紙の色・罫線の色に合うインクは何色か。

細かいことかも知れませんが、そういったいくつもの要素が、書きやすさや書き心地の良さに関係してくると思います。


その点から、満寿屋のクリーム紙が生まれた当時、作家さん達が執筆の際に最もよく使っていた筆記具が万年筆であるというのは納得するところです。


万年筆は、ペン先の字幅、ボディの太さ・重さ、吸入するインクの色等それぞれの選択によって、非常に組み合わせが豊富なのです。 用途によって、自分好みの1本にカスタマイズすることが出来ます。

また、万年筆自体にある程度重量がある物が多く、インクが潤沢に出て来さえすれば、ほとんど力を入れなくてもさらさらと文字を書いていくことが可能です。
長い時間文章を書き続ける作家さんにとって、「書く」こと自体に疲れにくいということは重要でしょう。

それに加え、デザインとしての見た目が良い物も多く、所有する喜びを味わえるという点も大事でしょうか。

私も、万年筆の持つ様々な魅力に惹かれ、毎日手で書く楽しみを味わっています。

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2013年3月19日火曜日

私にとっての「手書き」 (後編)

前回、私の仕事における「手書き」と「パソコン(での作業)」の使い分けについて書いてみました。今回は「手紙」という点での、私の手書きについて考えてみたいと思います。

現在誰かと文字のやり取りをする場合、メール(SNSも含めて)を使うのが手軽で一般的になっていると思います。私も毎日、お客様やお得意先様、友人等とメールでのやり取りをしています。
伝えたい(または伝えて欲しい)内容について、早く、そして気軽に送れるので大変便利ですね。


一方で手紙を書く機会も、メールほどの頻度ではありませんが、それなりにあります。
改まった手紙を書くのはほとんどがお客様宛てですが、お得意先様や友人にも送ります。封筒の宛名書きもほぼ手書きです。

メールと手紙、どちらも相手に文字で内容を伝えるものですが、私の中では少し両者の意味合いが異なります。

メールは、日常的な挨拶や連絡事項の伝達ツール。
手紙は、お礼等自分の気持ちを伝える道具。
と考えています。

もちろん、メールで感謝の言葉を伝えないわけではありませんし、手紙に連絡事項を書かないわけでもありません。 あくまでも私が考える、適した役割分担です。


「書は人なり」という言葉があります。
(有名な言葉ですが、実は出典は不明なのだそうです)
これは、書いた文字にはその人の人柄が表れるという意味だと思いますが、私はその人の「気持ち」も表れると思っています。

嬉しい気持ちで書いた手紙、
悲しい気持ちで書いた手紙。
書いたその時の感情によって、微妙に文字は変わる気がします。

メールの場合どんな気持ちで書いたとしても、画面に映し出される文字そのものはいつも変わりません。

文字の表情も読み取れる、というのが手書きの手紙の温かみだと感じています。


誰かに何かを送る際、ただ送るのではなく、手書きで一言添えるだけでちょっとした気持ちが相手に伝わります。 かしこまって便箋に書かずとも、いわゆる一筆箋で十分です。(お礼状等はそういうわけにもいきませんが。。)
私はいつも、受け取った相手の反応を思い浮かべながら、数行程度サラっと書くことにしています。

私が手紙を書くときに使うのは、たいてい万年筆です。
その一番の理由は、単純に私が万年筆を好き、ということになりますが、万年筆で文字を書くということにはいろいろと魅力があると思っています。

そんな万年筆についてのお話は、また回を改めて書いてみたいと思います。

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2013年2月19日火曜日

私にとっての「手書き」 (前編)

私は仕事において、いろいろな場面でパソコンを活用しています。

・原稿用紙や便箋の版の作成
・パンフレットやPOPの作成
・インターネットでの情報収集
・メール
・HPやブログの更新 などなど

現在の仕事を進めるにあたって、
パソコンは欠かせない道具であると言っても過言ではありません。


では全ての仕事がパソコンだけで済んでしまうでしょうか。
私の場合、絶対にそれはあり得ません。

「手書き」と「パソコン」は、
私の中で全く別の役割を担い両立しているからです。

私は常々、
「手書き」は頭の中に持っているイメージや思いを具体的な形に出力すること、
「パソコン」を使ってする仕事はそれを見栄えの良い形態に整える(仕上げる)作業、と考えています。

わざわざ手書きをして遠回りせずとも、直接パソコンで形にすれば良いじゃないか、と思われる方もいらっしゃるでしょう。
ただ、私の場合はどうもそうはいかないのです。


例えばパンフレットを作成する場合、最終的にパソコンでデータを作るのですから、最初から画面に向かうのが普通に考えれば恐らく一番仕上がりが早いでしょう。

しかし、頭の中で詳細な設計図が完成しているならともかく、まだぼんやりとしたイメージの状態の段階からパソコンに向かってしまうのは、私の場合かえって仕上げるまで時間がかかってしまうことが多いのです。


頭の中の断片的なイメージを、絵なども使って紙に書き出し、それを見ながら、ああでもないこうでもないとまたイメージを膨らませ良い形にまとめていく。
その方が最後のパソコンでの作業がスムーズに進む気がします。

私にとって、
パソコンを活用する前の段階で「手書き」をすることは、不可欠なプロセスなのです。

(後編)に続きます。

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2013年1月1日火曜日

新年のご挨拶


旧年中のご愛顧を感謝いたしますとともに
本年も皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます

手書きにおいて私が日常的に用いる筆記具は、万年筆、ボールペン、シャーペン、鉛筆がほとんどです。毛筆はほとんど使いませんが、年始のご挨拶にはふさわしいのではないかと思い、原稿用紙に書いてみました。

感想は、筆を操るのは非常に難しいということです!
全く、思った通りに書けませんでした。練習が必要ですね。
今年は意識して筆を使う機会を増やし、もう少し筆に慣れてみたいと思います。

今回、毛筆でゆっくり丁寧に文字を綴ることを意識したことで、それ以外の筆記具で文字を書く際にも同様に意識出来ている気がします。普段自分がいかに「殴り書き」に近い書き方をしていたか、実感出来ました。

常に一字一句時間をかけて丁寧に書くということは、大変難しいことではありますが、せめて手紙等誰かに気持ちを伝える場合には、心を込めて書くことを意識したいと思います。

その思いを忘れないため、たまに時間を見つけて筆を使うことは、私にとっては有効な手段かも知れません。

新年のご挨拶からだいぶ話が逸れてしまいましたが、、、
本年も何卒宜しくお願い申し上げます。


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